最近、パディントンの作者が亡くなられたのを知りました。それをニュースサイトで見かけたからか、ブログのタイトルがなんだか似てしまいました。
パディントンって可愛いですよね。きっと2〜3歳の無邪気な子どもがモデルなんだと思います。私にとっては子どもはパディントンと重なるところがあるのかもしれません。とんでもないことを時々しでかすことありました。きっとどのお子さんにもそんな逸話の1つや2つあると思います。
私は子どもが一人なので、子が大人になってしまった今はああ言う面白いことはなかなか体験できません。さみしいけれど、仕方ないです。最近では守ってあげる側の私が、子どもが帰ってくると色々と世話を焼いてもらっています。いつの間にか立場は逆転。でもそれはそれで嬉しいです。
朝、小学校低学年の男の子が登校班の集合場所までお母さんに付き添われているのを見ます。お母さんは登校班のメンバーを待たせてはいけないと、笑顔はなくどちらかというとちょっと怒っているような表情で足早です。きっと出勤前で時間がない中、あまり学校に行きたいくない子どものお尻を叩いてやっと家を出たのでしょう。子どもも真面目な顔で歩いています。そんなちょっぴりピリピリした親子に、つい声をかけたくなってしまう。
「そんなに今しっかりやらせようとしなくても大丈夫だよ。子どもはゆっくりでもちゃんと成長していくから。それより学校に行ける元気が出るように朝は笑ってあげて。」と。
こんな風に思うのは理由があるのです。それは自分がとびきり寝起きの悪い子どもで、忙しい朝に私を起こすためにとても時間がかかるので、母を朝から怒らせていたからです。毎朝寝ぼけまなこで最初に見るのは、決まってカンカンに怒っている母か、呆れて放って置かれてギリギリの時間を指している時計でした。自分が悪いことはわかっていましたが、寂しいような悲しいような気持ちになるのです。それで決めたのです。
自分の子どもが生まれたら、とびきり優しく楽しく起こしてあげよう!と。
学校に行くのは疲れますよね。友達と会いたい、学校が大好き!と思っていても、眠くてエンジンがかからない朝は特に体も重いし、学校に行く気になれない。
だからこそ、お母さんの笑顔が必要なんです。子どもはママがケラケラと笑って優しくしてくれると、それだけで元気になっちゃう。ご機嫌斜めでも面白いことを言われてつい笑ってくれたら、こっちのもの。毎日、私は子どもとの化かし合いをどう制するかを楽しんでいたと思います。
でも、これは専業主婦で余裕があったからだとも思います。だから、私はお仕事されているお母さんてすごいな、といつも思うんです。
それから、私は子どもへのメッセージはムチよりも優しい言葉と笑顔の方がずっと届くと思います。
だからお茶をこぼそうが、お茶碗を割ろうが、やる気でやったわけではない失敗については「あはは!」と笑ってあげてください。「なんでこぼすの!?」と言ったって、うっかりとしか子どもだって答えられません。
それに想像してみてください、自分が老人になった時のことを。私は将来年をとって今みたいに体が動かなくなって、転んだり、お茶をこぼしたり、洋服にシミを作った時に、子どもに「何やってるの!」と怖い顔で叱られたくないです。
それに声を荒げてしまった子どもだって、怖い顔をして親を怒ってしまった、と申し訳なく悲しい気持ちになってしまうような気がします。過去・現在だけではなく未来まで子どもを悲しませたくありません。
私も子どもの失敗に「なんで!?」と聞いても仕方のないことを言い続け怒った時期もありましたが、ある時とにかく笑ってしまおう、と決めてからイライラしなくなりました。一瞬「!!!(怒)」という感情は湧きますが、笑ってしまった方が絶対に楽だという実感があります。最初から許してしまう方が、怒る方も怒られる方もずっと楽です。
そして今は、私がお茶をこぼしても「大丈夫?』と笑顔でタオルを取って来てくれたり、そろそろ出かける用意をした方がいいのでは?と優しく子どもに言ってもらうと、「私、グッジョブ!」と自画自賛します(笑)。
ぜひ笑ってみてください。そのあと、「いやー、今回のひっくり返し方は豪快だったね!」なんて言ってあげると、子どもも素直に「ごめんね。」なんて言ってくれるかも。そして何より将来笑いながら同じ言葉をかけてもらえるというご褒美もあるかもしれません。
それでは。