医学部受験へのやる気は子どもが出すしかない。親はやり抜く力をサポート。

あくまで私個人の感想ですが、育児を少し離れた場所から振り返ってみて、今感じていることを書こうと思います。

私は子どもが生まれた時から「やる気スイッチ」的なもの、要するに主体性を子どもに持たせようとしてきたし、やる気のなさそうな子どもにお小言を言ってきたと思っています。

「自分のことなのにどうして自分で考えないの!」

「後で自分が困るよ。」

こういう言葉を子どもによく言ってましたね。今考えると、無駄なお小言、無駄な時間だった(悲)。

叱って出来るようになるなら、私も子どもの頃に叱られていたので素晴らしい人間になっているはずなのに、違いますね(汗)。

考えてみれば分かりそうなものですが、当時は分からなかったのです。

確かに今の私にはできなくて困ることが沢山あるので、親に言われたこと、私が息子に言っていたことは正しい。

でも、ある意味正しくないとも思う。

なぜなら私が今困っていることは、

何かをやり続ける力

この力がないことに困っているんです。昔は「根気」と言ってましたよね。よく両親から「根気がない!」って怒られてました。

子どもも大人も同じだと思いますが、「やりたい」「面白い」と思えば勝手に始めるし、のめり込んでいくと思います。ゲームとかマンガとかサッカーとか恋愛とか。

そこになかなか親がやってほしいと思うこと、例えば勉強や規則正しい生活などが入ってこないのは、やる意味がわからない、一方的に強制されている気がする、内容に興味が持てない、内容が理解できない、かなと思います。

よく分かります。私はあまのじゃくなので、人にやれと言われたことは「やりたくないリスト」に入れちゃってました。

主体性って、本人がやってみよう、と思うことだとしたら、これはどうやっても親がどうこうできることではない。もちろんその主体性を引き出すとか、常に自分のことは自分に主導権がある、と子どもに思わせることはできると思います。

小さな頃から「どうしたい?」と意見を求められて、自分の意見が尊重される経験をすることは、主体性を育てるのに大切だなと思います。

でも、やっぱり最後は子ども自身から湧き出てくる類のもので、子どもの中にないものを一生懸命植え付けようとしても難しい気がします。

そして、子どもが「こうしたい!」「〇〇になりたい!」と思っても、問題はそれに向かって努力し続けられるか、と言うことなんです。

やり始めた最初はただ楽しい。ある程度すると飽きてくる。続かない。山を乗り越える。また面白くなる。ある程度上達する。飽きる。続かない。

私の場合は、よくてこの位でやめてしまいます。これだと人より抜きん出るところまでは全然到達しません。

そんな私が、これだけは人に胸をはって「やり抜きました!」と言えるのは育児です。私の限界までやったと堂々と言えます。自分がやり抜けたと思うと、とても誇らしい気持ちになりますね。

子どもが「お医者さんになりたい」と親子で走り出した当初は、走るどころかカメの歩み。おまけに一歩進んで二歩も三歩も下がる下がる。色々と迷走してしまいました。

でも、最後の最後で何とか合格できたのは、子どもがやり抜いたからだと思います。私ができたのは、最後まで子どもに寄り添って伴走したことだけ。結局親が子どものためにできたことは、それだけだったんです。

だから、親が頑張ることはやる気スイッチ探しではなく、子どもがやりたいことをやり続けられるようにサポートすること。

とにかく「やり続ける」「やりぬく」を貫ける人は、よほどストイックで精神力が強くない限り、できない方が普通じゃないですか?みんなそこまでできないから、できる人が抜きん出ていくのだと思います。

結局、私も含め世の中のお母さんは子どもに期待しすぎなのかな?

「できないのが普通」ベース

で考えると、どうやったらできるようになるのかを一生懸命考えるようになるし、できたら嬉しくなります。

ただ、「できないのが普通」「子どもは別の人格」「子どもに期待しない」と言うことを本当に本当に理解できるようになるのは、頭がパンクするくらい考えて考えて、何をやってもうまくいかなくて悩んで、を延々とやらないと無理かもとも思ってます。

それだけ、親が子どもと自分を切り離して考えるのは難しいと言うことです。特に愛情深い人ほど。

でも、悩みに悩んで「子どもは子ども」「自分は自分」と認められるようになり始めると、突然子どもがすごく良い子に思えるんです。そこにいるそのままの子どもで十分だと思えたら、育児がものすごく楽になります。清々しい気持ちになりますよ。

私の夫は私の真似はできないと言っているし、医学部に入った今でも子どもにとってお父さんは気持ちが楽になる遊び相手です。

夫は自分と他人の境界線がはっきりしているタイプなのでしょう。遠くから子ども(と私)の様子を見守ってくれる人も育児には大切でした。

と、偉そうに語ってみました。

では。