先日、なんの気無しに手に取った本にこんなことが書いてありました。
アビダルマ仏教哲学では「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」とされています。
「頭のゴミを捨てれば、脳は一瞬で目覚める!」苫米地英人著 より
今まで時間は過去から未来へ流れる以外ないと思っていたので、こんな考えがあるんだ〜と、びっくりしました。面白い考えがあったんだなあ、と。
では、未来から過去に時間が流れているとはどう言うことなのか?
例えば傘を持っていないのに雨が降ってきた。「ツイテない」と思った。ところがその後好きな人とばったり出会い、傘に入れてもらった。さっきまで傘を持っていないことはツイテないと思っていたのに、「傘を持ってなくてラッキー」と過去が変わる。
こんな経験はありませんか?どうやら未来から過去へ向かって時間が流れるというのは、こういうことらしいのです。
過去が未来を作るのではなくて、未来が過去を作る。
だから、「未来が良ければ、過去も今現在も良し」になるというわけです。
そういえば・・・本を読んでいるうちに思いました。
子どもの医学部受験に必死だった頃、私は意識的に時間の流れを変えていたのかも。と。
医学部に合格する姿が全く思い浮かべられなかった
うちは子どもが一人ということに加え、母親の私は子どもと遊んだりおしゃべりするのが大好きでした。(気持ち悪いかも?でも今は親子ともそれなりに自立しているつもりですのでご容赦を)
子どもを観察する時間が長かったので必然的に私の観察眼は鍛えられて、子どもが何を考えているのか今どういう状態なのかが、手に取るように分かります。
それが良いのか悪いのか。
とにかく過去に積み重なった子どもの言動や行動がしっかり私の記憶に蓄積されていて、子どもが医学部に合格する姿を想像しようとしても、どうもうまくできなかったんです。
「だって、あの時もどうせ僕なんて、とかヘタレなこと言ってたよね〜。」
とか
「そういえば公文の時も嫌になるとプリントに落書きしてたよね〜(でもあのイラストは面白かったな)。嫌な勉強する時怒ってたなー。」
などという、どちらかと言うとダメなイメージばかりが浮かんでしまって。(医学部云々が関係なければ、私にとっては子どもが可愛かったなという楽しい思い出なんですが。)
これから待ち構えている大変な勉強をコツコツとこなし(あるいは急に勉強の楽しさに目覚め)、偏差値が70近くまで上がって、国立医学部に合格できる!!!
と思いたくても、どうにもこうにも無理がある気がして。
結局、子どもを医学部に合格させたいと頑張ることに一番疲れた時と冬という季節が重なったことが良くなかったのか、何ともさえない一冬を過ごすことになりました。
出来そうもないことを出来るようにしようと考え続けるのって、結構辛いですね。
そして、いい加減この状態から抜け出したいと感じて、あれこれ本を読んで、私の子どもへの視点を意識的に変えないことには抜け出せないんだと思いました。
親は子どものダメな姿を一番知っているだけに、視点を変えるのが難しい。
親は子どもが生まれた時から一緒にいるので、どうしても「子どもはできない」前提で見てしまう「クセ」がついています。
だから子どもにも、「あなたはすぐ忘れちゃうから気をつけなさい。」とか、「そのやり方を直さないとダメだよ」とか「ボンヤリしているんだから忘れ物するんだよ。」なんて、過去のことを思い出してあれこれ言ってしまいます。
もちろん、子どもが困らないようにと転ばぬ先の杖でアドバイスしているんです。
ところがです。
自分が言っておいてなんですが、自分の発する言葉が自分(親)が持っている子ども像を固定してしまっているんじゃないか?と。
実際、親がいないところでは子どもって結構しっかりしていませんか?
普段「靴をそろえなさ〜い!」と言われているのに、お友達の家に行くと「お邪魔しまーす。」と靴を揃えていたりしません?
これはほんの小さなことかもしれませんが、実は親が思っているほど子どもって幼くないんじゃないか?と思うようになったんです。
勉強したくなくて「トイレに行ってくる」と言って何度も席を立つ中学3年生だった子どもと、今目の前で勉強している子どもは違うんだなあ、と。
親が別の視点を持てるようになると、子どもの行動が変わる
面白いことに、そうなってくると「過去」ではなく、「今」の子どもをそのまま見るようになりました。
昨日までは、
「もっと本人がやる気を出してガンガン勉強しないと医学部なんて受からないよ!」と過去のやる気のない子ども前提で、きっと今もやる気がないんだと考えてイライラ!!
今日。
「私、高校生の時にちっとも勉強してなかったなあ。それに比べたら、この子すごくやってるじゃない!私も大嫌いだった物理、この子苦手なのになんとか解こうと頑張ってるんだなあ。」
何だか集中できなそうな時も、「やる気ない」前提ではなくて、疲れているのかな?お腹が空いているのかな?何か学校でつまらないことがあったのかな?と、先入観を持たずに子どもを観察したり、「今日は何で集中できないと思う?」と子どもに聞けるようになりました。
そうしているうちに、自然に「この子はいつか必ず医学部に合格できる」と素直に信じられるようになったと思います。
そう思えるようになった私が、子どもにかける言葉は、それ以前とはやはり違ってきたと思うのです。
子どもは親からかけられる言葉の影響がすごく大きくて、親の発する言葉一つで自信を持ったり失ったりするものみたいです。
いつしか私がイメージする未来の子どもの姿通りに、現実の子どもの行動が変わっていくのが分かりました。
例えば、勉強面では解けない問題もすぐに投げ出さない、長時間勉強するようになる、面倒臭くてもできないことは繰り返し繰り返しやるなど。生活面では、あまり注意することがなくなりました。
子どもってすごいなあ、こんなに変われるんだなあ!!本当に感動しました。
親が子どもの医学部合格イメージを持てたら、合格への第一歩です
「こんなんじゃ受からないんじゃない?」
「やる気スイッチってどこにあるの?」
「こっちがこんなに真剣に頑張っているのに、どうしてこの子はわからないんだろう?」
こういう風に思うということは、合格イメージとは程遠いお子さんの未来が親の頭の中にある気がします。
どうでしょう?ありませんか?
昨日までのお子さんは、勉強しなかったかもしれません。何だか頼りなかったかもしれません。
でも、ちょっぴり視点を変えてよそのお子さんを眺めるつもりでお子さんを見たら・・・?
「こういうところがすごいじゃない?」とか「結構毎日いっぱいいっぱい頑張ってるのね」なんて思うんじゃないでしょうか。
今のお子さんに注目して、成長したところを素直に受け入れたら、少しずつ親の頭の中にある未来の子どもも変わってくるかも。
成長した未来の自分に相応しい言葉を、子どもは親に望んでいるかもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^
モバイルではプロフィールの下↓に人気記事が表示されています。^^
関連記事>>>子どもを医学部に入れたいなら、子どもの短所を長所に変える親になる。
おすすめ記事>>>医学部合格までの軌跡〜高1駿台全国模試(第2回)の成績〜